オレたちを熱狂させたブランド
ブランド──持つ者には優越感や安心感を与え、持たざる者は飢餓感や所有欲を掻き立てられ、羨望の的とみなすようになる。年齢や興味の変化で対象は変わっても、オレたちの頭の中からその存在が消えたことはないだろう。今号では、オレたちを虜にした、モノ・コト・ヒトまでひっくるめたさまざまな“ブランド”を振り返り、その魅力を探求してみたい。照れや自制心はぶっ飛ばして、あの頃の欲求に再び火を入れよう。まだ枯れるのは早すぎる!
「楽しくなければテレビじゃない!」──こんなキャッチフレーズと共に、1980年代から90年代にかけて、日本中を席巻したのがフジテレビだった。バラエティもドラマも、みんな新しくておもしろかった、当時のフジテレビのパワーの源泉とはなんだったのか?
アスリートのために作られたはずのスニーカーが、ファッショニスタたちの足元を飾り、社会現象まで巻き起こした──今もなお伝説として語られる銘品、ナイキ「エアマックス 95」。その登場は俺たちのスニーカーに対する思いも、スタイルも、180度変えてしまった!
AV機器のメーカーから「サイバーショット」や「プレイステーション」を中心としたデジタルエンタテインメント企業へ──大きな変革の時期を迎えた90年代のソニー。当時10代後半から20代前半だった昭和50年男も、魅力的なソニー製品に大いに物欲をそそられたハズ。
日本のダンスミュージック文化を盛り上げ、90年代を象徴するサウンドを次々と送り出したレコード会社、エイベックス。代表的なアーティストであるTRFのDJ KOOに訊いたヒストリー秘話!
デビュー以来、漫画界の最先端を突っ走っている浦沢直樹。しかしその道は売れ線漫画の“王道”ではなく、自分の思う“カッコいい漫画”を世間に受け入れさせる挑戦の道だった。
従来なら日本未公開で終わっていたような地味な映画を単館ロードショーという形で公開し、都市部の映画ファンに熱狂的に受け入れられたミニシアター。90年代に入るとメジャーに引けを取らないヒット作も生まれ、新たなブームを作り出した。作家・樋口毅宏が当時の映画環境を振り返る。
1960年に設立され、今年60周年を迎えたセガ。長きにわたる歴史をひもとき、オレたちがゲームに熱中し始めた少年期の1983年から青年期の2001年にかけて、その歩みを振り返ってみよう。
プラモデルメーカーは数あれど“TAMIYA”のロゴマークは燦然と輝くトップブランド。その印象を強く植えつけられたのが、RC(ラジオコントロール)カーだ。1980年代に巻き起こった空前のRCカーブーム。それは決して、時代が生んだ偶然の産物ではなかった!
1993年9月、プロレスと格闘技の歴史を大きく変える新団体が生まれた。その名はパンクラス。「完全実力主義」を掲げたその闘いは、格闘技の新たなブランドとなった。その誕生秘話を、創設者の一人である鈴木みのるが語った。
彼女を観て「美しい」「綺麗」と思わず口からこぼれ出た人がどれだけいたことか。どことなく不思議、だけど知性的で気品があって愛らしい。お茶の間のアイドルというより、気づけばサブカルチャー寄りのポジションでその個性を光らせていた彼女の佇まいは、20年以上を経た今も変わらない。
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