こんな俺たちを作っちまった、
罪深き「モノ」たちの姿に感動!
俺たちを育てたモノ大全
俺たちが子供の頃、庶民の生活はまだそれほど裕福な時代ではなかった。しかし、10円玉何個かを握りしめて駄菓子屋に行くのが楽しみだった幼少期から、少し大きくなった少年期には俺たちの心を揺さぶる「モノ」たちとの出会いが数えきれないほどたくさんあったのだ。ただ欲しいものを買うだけでなく、目的をもって集めることも覚えた。時にいきすぎた行動に走ることもあった。でもそれこそが俺たちの時代の象徴だった。知らず知らずのうちにそんな「モノ」たちに育てられた俺たちだが、大人になった今、あらためて振り返ってみるのも悪くない! 今まで『昭和40年男』に掲載されたモノ系の記事から厳選された「モノ」たちの総集編をぜひ堪能してほしい。
1972年にカルビーから発売された「仮面ライダースナック」。その、1袋20円のお菓子に付いていた「仮面ライダーカード」に多くの昭和40年男は翻弄された…。ラッキーカード欲しさに、箱買いしたり、スナックを食べずに捨てたり、罪深い思い出とともに今も記憶の奥底にあるカードを一挙掲載!
「仮面ライダーカード」集めで火がついた俺たちの収集欲。少し大きくなった頃には切手やコインなど、資産価値のあるモノへとその興味は広がってゆく。1枚うん万円の貴重な切手から、海外の珍しい切手まで、手に入らないものもあったけど自分なりの収納方法を考えることも大きな楽しみのひとつだった。
ゼンマイから小型モーターへ! 昭和40年男をわくわくさせた手のひらサイズのスーパーテクノロジー、マブチモーターは、それまでは作って飾ることが目的だった俺たちのプラモに、命を吹き込んでくれた。模型用モーターの世界標準となった、日本が誇るマブチモーターをあらためて振り返ってみよう。
昭和40年男たちのごっこ遊びのなかでも、ひと際夢中になったのがスパイごっこではないだろうか。スパイごっこ用玩具はいろいろあったが、最も人気があったのは、なんと言ってもトランシーバーだ。「応答願います!」「どうぞ!」のお決まりフレーズとともに、なりきりアイテムに欠かせない存在だった。
「将来なりたい職業はプロ野球選手!」という子供たちが多かった時代、野球盤がもてはやされないはずがない。野球盤といえば、最盛期には300万台以上売り上げた機種もあるというエポック社が有名だが、実は多くのメーカーからさまざまな野球盤が発売されていた。そんな野球盤の変遷をみてみよう。
人生とは何か? そんなこと、まだよくわかりもしないのに夢中になって興じた「人生ゲーム」。昨日は「億万長者」だったのに今日は「貧乏農場」…なんて、人生そんなに甘くない?!ことを教えてくれた「人生ゲーム」。アメリカンドリーム的な壮大な西洋すごろくは、すごろくとは似て非なるものだった!
毎月、その付録にワクワク、ドキドキが止まらなかった「学研のかがく」。昭和40年男たちに、楽しみながら科学のおもしろさを教えてくれた学習誌の王道だ。これによって生き物の生態を知り、カメラやラジオなどの仕組みも知った。大人になった今でも、欲しくなるようなあの付録たちを思い出してみよう!
本当に、今考えてもよくこんなものが文具店や駄菓子屋で普通に売られていたものだと驚く。おおらかな時代だったと言えばそれまでだが、めちゃくちゃやんちゃだった昭和40年男たちに与えるには危険極まりない玩具だった! 命の尊さを教えてくれた(?)はずの「昆虫採集セット」だが、今はもうない…。