百花繚乱へとギアを上げた日本
70年代中期へ時空の旅にでかけよう。
ザ・タイムマシン1977・1976・1975・1974
西暦が80年代に突入する5年前に、昭和が40年代から50年代へと移行した。振り返ってみれば、双方ともに10年の節目ごとに社会変化の幕開けを強く感じられた。昭和50年周辺は、豊かになる暮らしのなかで、新しい文化と価値観が次々と生まれた時代だ。海外から紹介されるニューカルチャーを積極的に取り入れては、日本お得意のカスタムが施されて若者たちの熱狂を生んだ。そんな時代のうねりの中で、俺たち世代は身体の成長が最も著しい頃だった。少しずつ男のなかに男が芽生えていく頃だ。本書は、日本がひとつの頂点へと向かってギアを上げた昭和50年を中心として、俺たちの成長にとってもなくてはならない4年間を切り取ってお送りする。時空の旅をじっくりと楽しんでくれ。
血のたぎる合言葉は「ニューヨークに行きたいかー!」。規格外のスケールとクイズ番組の常識をひっくり返す斬新さでアメリカへの憧れをかき立てた『史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)。西から東へ過酷なアメリカ横断旅の戦いを勝ち抜いたクイズ王・長戸勇人に道中の顛末を聞く。
スーパーカーブームこそ、昭和40年男世代を揺さぶった人生最大最上の贈り物だ。今もコイツを超えるブームは現れていないし、熱狂はずっと続いていて冷める気配などない。キミのハートは今も、12気筒で鼓動しているか。心のリトラクタブルライトは今も開いているか。
富士スピードウェイで初めて開催されたF1グランプリは、最終戦までもつれ込むチャンピオン争い、激しい雨と10台のリタイヤ、優勝候補ニキ・ラウダの棄権、劇的な優勝劇などで世界中のF1ファンの記憶に刻まれるレースとなった。そのなかで、きらりと光ったのが初出場となるKEの活躍であった。
勝負の行方を左右した新球場。その人工芝でのプレーを活かしたのはホームの巨人だった。そしてそれを後押ししたのが人工芝で1勝もできなかった、歴史的連敗を続けた中日だった。2年目の長嶋巨人を優勝へと導いたのは、人工芝によって顕在化した両チームの差だったのか? その真実が今、明らかに。
反体制の世相が喝采を送る、誰の血も流れぬ華麗なる犯罪。世紀の劇場型犯罪切を成し遂げた犯人は誰だ!? 捜査線上に浮かんでは消える容疑者…。反体制から、しらけ世代へと時代が移ろうとするなか、時効成立を前に皆が探偵と化すも、逃げ切った犯人は迷宮の向こうへと消えていった。
1975年3月10日、新幹線が東京から博多まで一本につながった。これは旭川~鹿児島を結ぶ全国新幹線網計画の第一歩だった。寝台車も試され、僕らは高速鉄道で日本縦断〝新幹線の旅〟を夢見たのだが、その豊かさは幻となり…。一極集中を加速させた新幹線は単なる高速移動手段だったのか。
世界的に無名なうえ、目立った国際貢献をしたわけでもない佐藤栄作が「非核三原則」という努力目標を口にしただけでノーベル平和賞を受賞した。そしてほぼ同時期に、その総理大臣後継者・田中角栄がたった2年半で総理の座を追われた。その本当の理由は一体なんだったのか?
数ある特撮作品のなかで、ど根性を武器に戦うヒーローの頂点が『ウルトラマンレオ』だった。スポ根テイストの波乱万丈な熱血ヒーローで、あのウルトラセブンが厳しく鍛える! あの伝説の特訓シーンは俳優たちも我々も忘れない! 名作を生んだ鬼監督が『レオ』を語った。
シャンプーや石けんなど、『エメロン』を使ったことがないという昭和40年男世代はまずいないのではないだろうか。その名前の響きにもおしゃれなイメージが漂っていた『エメロン』。ハニー・ナイツが歌う「ふりむかないで」が流れるなか、女性を振り向かせる1970年代のあのCMも懐かしい!
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