あの頃のテレビは、キラキラと輝いていた!
俺たちを育んだテレビ黄金時代
テレビの中には、俺たちが成長していくためにかかせない夢と希望がギッシリ詰まっていた。熱きテレビマンたちは、アイデアとほとばしる情熱をこれでもかと注いで番組を作り込み、ブラウン管から発散されるエネルギーはお茶の間を震わせるかのごとくに満ち満ちていた。世論など恐れぬプロフェッショナルたちの本気があった。だから俺たちは、テレビからたくさんのことを学べたのだ。どんなピンチにも諦めない気持ちや、男の生き様や美学、人を愛することのすばらしさなどなど、大人の階段を登るためのありとあらゆる糧がそこにはあったのだ。熱のこもった当時のテレビコンテンツからは、いつまでも忘れてはならない純粋な心をきっと思い起こすことができるはずだ。『昭和40年男』に掲載された、テレビにまつわる記事を厳選してお送りしよう。
1970~80年は生放送番組やバラエティ番組が続々と登場! 一体次に何が起きるのか? 録画番組でさえドキドキワクワクさせてくれるその仕掛けに俺たちは夢中になった。今では到底作れないだろうと思うような過激な番組も当時は平気で放送されていたというのも、やはり「時代」だったのか…。
昔のテレビは斬新だった! 一家に一台の頃は、家具調のどっしりと重厚なテレビが、いかにも居間の主役であったが、パーソナル化が進むにつれ、そのデザインは大きく変わっていく。近未来的と言うべきか? 今見ても、驚くほどの個性的なデザインのテレビは「本当にあったのか?」と疑うほどだ。
昭和40年男世代は、ど真ん中の特撮ジェネレーションである! 『帰ってきたウルトラマン』や、再放送で観た『ウルトラセブン』などなど、これらウルトラマンシリーズなしに幼少期のテレビを語ることはできない! 本増刊では、昭和第2期最後の『ウルトラマンレオ』までを一気に振り返る。
ウルトラマンシリーズとは違う新たなヒーロー、鏡の国からやって来た『ミラーマン』。その誕生秘話を監督・プロデューサーとして数多くの円谷作品を手がけた満田氏に伺った。そしてもう一人、人気ヒーローを演じたが故の苦労もあったという、「ミラーマンになった男」石田信之のインタビューも!
庶民にとって海外旅行がそれほど一般的ではなかった時代、世界各国を飛び回りレポートし、その遥かなる世界を教えてくれた伝説のクイズ番組はどのようにして生まれたのか? 火曜夜9時の激戦区、強敵ぞろいの裏番組を相手に、最高視聴率36.4%を叩きだした人気の秘密をプロデューサーが語る。
テレビの欽ちゃんはここから始まった! コント55号で一世を風靡した萩本欽一が、初めて自身の名前を冠に登場したのが『欽ちゃんのドンとやってみよう!』。後にシリーズ展開される「欽ドン!」は、オーディションで素人を発掘したり、オリジナルユニットを前面に押し出すスタイルで大人気に。
「あまりふざけられると困ります」。テレビ局をしてそう言わしめた、『タイムボカン』は1975年に放送が開始された伝説のギャグアニメだ。近未来を画期的に表現したSF作品としても評価の高い本作品の総監督を務めた笹川ひろし氏に、あの「悪ノリ」を生み出した制作の背景について話を伺った。
昭和40年男世代にとって、まさにリアルタイムの学園ドラマ、『3年B組金八先生』 。同世代の悩みや葛藤が描かれた本作品には、見事にはまったという人も多いだろう。第2シリーズで「腐ったミカン」にたとえられた加藤 優を演じた、直江喜一へインタビューが実現。伝説のドラマを振り返る!