今も口ずさめる
昭和ソングは胸に刺さり、心に残った!
俺たちの胸に刺さった昭和ソング
昭和40年男世代の幼少期から青年期は、光輝く「昭和ソング」の数々が巷にあふれていた時代だった。大人気のオーディション番組や歌番組も、一家に一台のテレビで家族皆そろって一緒に観ていたからこそ、大人も子供も誰もが口ずさめるような歌がたくさん生まれたのだ。そして、アクション付き、振り付きの歌が人気を呼んで、誰もがこぞってアイドルたちの真似をしていた。今回はこれまで『昭和40年男』に掲載された記事のなかから、1970年代を中心に「胸に刺さった昭和ソング」を厳選した総集編をお届け! まだまだ載せたかった曲もたくさんあったけど…とりあえずこれを読めば、あなたも、そしてあなたも、あの頃にタイムスリップできるはず?!
昭和46年から昭和63年までの18年間を、1年毎にダイジェスト編集。とはいえ、1年の出来事のすべてを2ページにまとめられるわけもなく…。昭和46年は、天知真理、小柳ルミ子、南 沙織の3人が「アイドル」の原型を作った年。まさに胸に刺さった歌の世界が俺たちを取り巻き始めたのだ。
紅白歌合戦と並んで、大晦日の恒例行事となっていたレコード大賞。子供の頃はお茶の間で家族そろって観ていたものだ。そんなレコード大賞にかつてない「異変」が起きた昭和53年は、日本の音楽シーンが大きな転換期を迎えたエポックな年だった。その歴史的受賞の舞台をリアルに描いた書下ろし。
昭和52年、そのルックスとは裏腹に単なるアイドルとは呼べない本格派のアーティストが登場。その名は原田真二。3ヶ月連続で新曲を放つという、当時では考えられない鮮烈なデビューを飾り、そのすべてがヒット曲となる快挙を成し遂げた。原田真二本人がデビュー当時のことを赤裸々に語る。
2018年5月、惜しまれつつこの世を去った、昭和のアイドルスター・西城秀樹。その秀樹が、2016年に『昭和40年男』のインタビューに応じてくれた際の貴重な記事を再掲載! 新御三家のひとりとして大活躍した、70年代のアイドル時代を本人の言葉を交えながら振り返る必見の記事です!
昭和ソングを語るうえで、絶対に外すことのできない作曲家のひとり、都倉俊一。いわゆるポップス系アイドルとして初めてレコード大賞を受賞したピンク・レディーを、世に送り出したその人である。海外の音楽から大きな影響を受けてきたというその感性の原点に迫り、70年代の活躍をご紹介。
あの衝撃の「飛んで、飛んで、飛んで…♪」の「夢想花」は、ヤマハのポピュラーソングコンテスト、通称・ポプコンから生まれた、誰もが知る大ヒット曲。当時、ポプコンでグランプリを獲るということは、ヒットが約束されたも同然と言われていたが、それゆえの苦労も。本人と共に当時を振り返る。