「昭和の男たち」はカッコいい!
そして、男たちは今も輝き続けている。
俺たちが惚れた昭和の男たち
昭和には男を褒め称える言葉が多くあふれていた。強くたくましい、明るく真正直、粋でいなせ、ニヒルでクールなどなど、挙げていったらきりがない。昭和の男たちは、図太くたくましく己を貫いて生きていたのだ。そして俺たちは、偉大になっていくその過程にも惚れ続け、彼らから多くのことを学びながら生きてこられた幸せ者だ。『昭和40年男』に掲載された過去の記事から、昭和を鮮やかに彩ったと呼ぶにふさわしい男たちを厳選し、生き様に憧れた昭和の男たちと、その背中に痺れた銀幕やブラウン管の中に観た憧れの男たちをいま一度振り返る。今こそ彼らから学び、クレームばかりはびこる現代社会なんかに委縮することなく、昭和の自分を貫こうじゃないか。
昭和、平成、令和…と走り続ける音楽の伝道師。甘いマスクに卓越した歌唱力、ギターの名手にしてコメディセンスも抜群。俺たちが憧れる要素をいくつも兼ね備えた野口五郎に最近、「発明家」や「研究者」の顔が加わった。時代を超えて進化し続ける兄貴が、音楽、芝居、そして未来について語り尽くした!
早川義夫が『かっこいいとはなんてかっこ悪いんだろう』というレコードを出したのは1969年のこと。物事の価値観に変化が起きようとしていた70年代前半に現れた萩原健一はまさにそれを体現した俳優だった。ショーケンこと萩原健一の演じる男たちのそれまでになかったカッコよさに俺たちは憧れた。
「視聴率100%男」と言われた男は、「僕の仕事はみんなに“運”を作ってあげること」と言う。望遠カメラ、ピンマイク、夜9時台のバラエティ番組、素人の起用など挙げればきりがないが、それらのルーツである、欽ちゃんこと萩本欽一だ。テレビを知り尽くした欽ちゃんが波乱万丈のテレビ人生を語る。
1980年代に巻き起こった新日本プロレスの一大ブーム。それをアントニオ猪木と共にけん引した、藤波辰爾と初代タイガーマスク・佐山サトルが、あの頃を語り合うスペシャル対談。プロレス黄金時代の“熱”はどこから生まれたのか。その源流を探るべく憧れの男たちが、昭和プロレスと猪木イズムを語る。
昭和40年男世代にとって、ヒーローというキーワードで連想する曲はと聞けば、おそらくほとんどの人が甲斐バンドの「HERO(ヒーローになる時、それは今)」と答えるだろう。思春期の第一歩を踏み出したあの頃、魂をぶつけるようなボーカルで新たなヒーロー像を提示してくれたのが甲斐よしひろだった。
『男はつらいよ』初公開から50年以上経っても、今なお愛され続けている寅さん。真っ直ぐでひたむき、いつだってやせがまんばかりで、自分の幸せは後回しにするその姿に俺たちは胸を熱くした。その唯一無二と言える車寅次郎の魅力を、歴代の作品と、博役・前田 吟の言葉と共に振り返ってみよう。
つかこうへいが創り出した舞台劇の映画化で、1982年に公開された映画『蒲田行進曲』。男女3人の奇妙な愛のトライアングルが描かれた本作の主人公のひとり、銀ちゃんこと倉岡銀四郎の自由奔放で破天荒なスターぶりには圧倒されるカッコよさがあった。銀ちゃんを演じた風間杜夫があの名作を振り返る。
ヒーローには真面目さが要求されがちだが、それだけでは人間らしさは描ききれない。『科学忍者隊ガッチャマン』のG-2号・コンドルのジョーはそんな人間らしさをもつもう一人の主人公だった。俺たちにとって、愛すべき最強のナンバー2と言えるジョーは重い過去を背負った孤高の男でもあったのだ。
前線で派手に立ち回るヒーローがいる一方で、後方で知恵の限りを尽くして戦いを勝利に導く存在もいる。『宇宙戦艦ヤマト』で、いざという時に頼りになる存在として、俺たちが憧れた男は真田志郎。科学の知恵で危機に挑む彼の姿はまさに陰のヒーロー。ヤマトきってのクールな男の魅力をあらためて知る。
映画、ドラマ、マンガやアニメなど、さまざまなメディアで数多の男たちが描かれてきた。幸せに背を向け、時に虚勢を張り、自分を貫いてきた男たち。男が男として生きるために、彼らは何を代償にしてきたのか。そしてその姿に俺たちはどう影響を受けたのか。男のやせがまんの軌跡とその魅力を振り返る。
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