圧倒的存在感を誇るヒーローに魅せられた
1972-1988 昭和新日激闘史
発売日
2021年10月18日(月)
定価
1,280円(税10%込)
燃える闘魂
アントニオ猪木
昭和はブラウン管から次々とヒーローが現れた。そんななかでも、俺たち世代にとっての圧倒的な存在感を誇るヒーローこそがアントニオ猪木であることに、異論を唱える者はおるまい。燃えた、ただひたすらに燃えた男だ。魂の闘いを見る度に、俺たちは男の中の男を覚醒させ続けた。そしてどんな困難にも屈してはならない、男の生きる術を学び取ったのである。デビューから60周年を迎えた令和3年、またやはり猪木は屈しない姿と精神で、俺たちに男とはなんたるかを教えてくれている。この節目の年に最敬礼したいとの思いを込めて、この総集編を昭和の男たちに贈ろう。ここには俺たちにDNAレベルで影響を与えた血潮がある。読み、感じて、心を燃やせ!! そして俺たちこそが猪木世代だと強く堂々と胸を張ろう。
1990年代前半、UWFインターのエースとして「格闘技世界一決定戦」を行うなど、全盛期の猪木を彷彿とさせる活躍を見せた髙田延彦。もともと大の猪木ファンであり、新人時代は付き人を務めた髙田に、猪木から受けた多大なる影響を語ってもらった。
『週刊プロレス』元・編集長のターザン山本と、『1976年のアントニオ猪木』著者であるノンフィクション作家の柳澤 健。「猪木論」には定評がある二人に、新日本プロレス時代の猪木について語 ってもらった。猪木の全盛期だったあの時代とはなんだったのか?
テレビ朝日『ワールドプロレスリング』初代実況担当として、日本プロレス時代から、アントニオ猪木の数々の名勝負を実況してきた舟橋慶一アナウンサーに、実況席から見た全盛期の“猪木”を語ってもらった。あの“舟橋節”が誌面でよみがえる!
1960年代末から70年代初頭、日本プロレスはジャイアント馬場とアントニオ猪木の“BI砲”人気によって、第二の黄金時代を迎えていた。しかし71年12月に猪木が“会社乗っ取り”の汚名を着せられ除名処分となり時代は大きく動くこととなる。そんな激闘の時を、藤波辰爾に語ってもらった。
新日本プロレスと国際プロレスのトップ同士であり、力道山vs.木村政彦以来20年ぶりの超大物日本人対決となった猪木vs.ストロング小林戦。猪木時代の幕開けとなったこの大一番実現までには紆余曲折があった。
モハメド・アリ戦が行われた半年後、猪木はミステリアスな試合に臨んでいる。パキスタンの英雄、アクラム・ペールワンとの一戦だ。アクラムが噛みつき、猪木が目をえぐる壮絶な試合の裏側には、伝説以上の真実が隠されていた。
日本にはこれまで、外国人レスラーのスター選手が多数やってきたが、そんな常連外国人のなかでも最大の大物がハルク・ホーガンだ。後に世界的スーパースターとなるホーガンがブレイクするきっかけとなった、1982年の活躍を振り返ってみよう。
スタン・ハンセンと並び「史上最強のガイジンレスラー」と呼ばれ、今もファンの心に強く残る“超獣”ブルーザー・ブロディ。全日本から新日本への移籍と、アントニオ猪木との対戦は、プロレス界にとって一大事件だった。その移籍劇の顛末と、88年に42歳の短い生涯を終えたブロディの生き様に迫る。
今でもプロレスファンの間で名勝負と語り継がれる1988年の “8.8横浜 藤波vs.猪木戦”。テレビ黎明期からお茶の間を沸かせてきたプロレス中継がついにゴールデンタイムを外れた昭和63年に、昭和のプロレスを締めくくるかのように行われた師弟対決を、当事者である藤波本人に振り返ってもらった。
80年代前半に巻き起こった新日本プロレスの一大ブーム。それをアントニオ猪木と共にけん引した、藤波辰爾と初代タイガーマスクこと佐山サトルが、“あの頃”を語り合うスペシャル対談。プロレス黄金時代の“熱”はどこから生まれたのか。その源流を探る!