発売日
2020年7月10日(金)
定価
780円(税10%込)
発行間隔
隔月刊(奇数月11日発売)
俺たち腹ペコ世代
昭和の俺たちはいつも腹ペコだった。母ちゃんたちが育った、食いもののない時代からは脱却できていたが、現代に比べれば食卓にはまだ貧しさも残っていた。「白いお米をお腹いっぱい食べられるだけでも幸せなのよ」―戦後を生き抜いた者として説得力満点のセリフだ。が、ブラウン管の中や繁華街には美味そうな食いものがあふれていて、それらを眺めながら「白飯だけで満足できる時代じゃねぇや」と、心の中でやさぐれていた。しかし、それを口に出そうものならブン殴られるのが昭和だったから、いつも沈黙を守った。親への不満のなかでも食いもののネタがタブーの筆頭なのは、戦後の貧しさを生き抜いた経験が壮絶すぎるからだ。そんなガキの頃を乗り越え、俺たちは今、飽食時代の真っただ中にいる。美味いものをいくらでも求められる幸せな日本をエンジョイしている。だが、あの日の渇きに渇ききっていた“腹ペコスピリット”は、忘れてならないのではないか。次々に登場した画期的な食いものや、黎明期を突破して増殖するインスタント食品類、海の向こうからやって来た衝撃的な出会いに興奮しながら、ハングリー・ライク・ザ・ウルフだった俺たちだ。そして夢を描いた。魅惑を放つ食いものたちをいつでも自由に食える明日にするんだと腹ペコの俺たちはがんばった。そうだ! 俺たちはやっぱり、そんな“腹ペコスピリット”を失ってはならない。今こそそれを思い起こし、明日をもっともっと豊かな色に変えてやろう。
夢、あふれていた俺たちの時代
昭和53年(1978年)
昭和40年男が少年から青年を経て大人への道をまっしぐらに歩んでいた時期は、日本経済が沸点へ向かって急上昇を続けていた時期とピッタリ重なる。そうした勢いを肌で感じながら成長できた俺たちには、いい思い出が数多く残っているハズだ。この連載特集は、俺たちが過ごした「夢、あふれていた時代」からある1年に焦点を当て、さまざまな出来事をふり返りながら、世代的ルーツの一端を「再検証」してみる試みだ。今回は「昭和53年(1978年)」をフィーチャー。さぁ、時間の旅へ出かけよう!
「それにしても、腹が減った…。」というセリフでお馴染み、松重 豊演じる井之頭五郎の繊細かつ武骨な食べっぷりに思わず食欲をそそられる『孤独のグルメ』。深夜の飯テロ番組、グルメドキュメンタリーの元祖とも言われる人気ドラマの原作者である久住昌之に、昭和の食について訊いた。
誕生から90年間、変わらぬ美味しさを誇る「崎陽軒のシウマイ」が主役の「シウマイ弁当」は、横浜を中心に熱烈なファンをもつ。50年以上食べてきたハマっ子ギタリストの小野瀬雅生が語る!
1970年代半ば以降、ファミリーレストランやフードチェーンが全国展開され、外食のスタイルが変わっていった。そんな中でも特に、アメリカの“色”を感じさせてくれたチェーンには、ある種の強い憧れを抱いたのだった。
“個食”が定着してしまったかもしれない現代人。我々もそれを受け入れてしまっている。しかし、昭和40年男にもみんなでワイワイ同じメシをつついていた時代があった。給食こそその原風景だ。
駄菓子よりも上品で、洋菓子店の焼き菓子よりもずっと手軽。近所のスーパーにも並んでいた様々な“国産洋菓子”は、おやつの時間をいつもと違う特別な雰囲気にしてくれた。大人になって贅沢ができるようになっても、あの味はずっと忘れられない。
昭和40年男は『週刊少年ジャンプ』の『包丁人味平』を連載開始時から読んでいた世代だけに、この種のマンガのファンは少なくないはず。今や一大ジャンルとなった“食マンガ”の創成期から現在まで、その魅力を時代の流れに沿って解説。さらに、6つのカテゴリーに関しても説明しよう。
まだ家にはテレビが一台しかなかった時代。好むと好まざるとにかかわらず、昭和40年男は幼い頃から料理番組を観てきた。ブラウン管の向こう側に垣間見えた、まだ食べたことのないた料理に憧れた人も多いことだろう。
映画館の大スクリーンで宇宙SFの迫力に興奮した記憶が今も残る。歌謡曲ではピンク・レディーの「UFO」が大ヒット、ゲーム機「スペースインベーダー」も発売されるなど、この年、“SF”が一躍ポピュラーなカルチャーとなった。
普段、何気なく観ているテレビ番組に同世代の昭和40年男が関わっていると知ったら。少なからず親近感がわくのではないだろうか。『ポツンと一軒家』など、多くの人気番組を手掛ける放送作家・中野俊成の創作の原点に迫る。
エッジが立った論を展開し、第一線の社会学者として世を見続けている兄貴。彼の鋭い社会批判的な視点はどのように生まれたのか。そして、変わらずにずっと持ち続けている想いとは? 彼の言葉に耳を傾けると、これからの人生を生き抜くための術が見えてくる!
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