発売日
2021年9月10日(金)
定価
780円(税10%込)
発行間隔
隔月刊(奇数月11日発売)
タメ年男の正体
50代も後半戦に突入した俺たちだ。あらためてその正体を突き詰めようと取り組んだ制作過程で考察を続けていると、「喜怒哀楽」というキーワードが浮かんできた。とかく、昨今は生きづらいと感じている同世代諸氏は多い。匿名での怒りに満ちた社会にうんざりさせられるのは、いい時代に生まれ育ったおおらかな気持ちがベースに あるからだ。不満や怒りばかりが突出してしまった現代には、その裏に哀しみも多く転がってしまい、喜びや楽しみをスケールダウンさせている。言ってしまえば「怒怒怒哀」な現代社会なのだ。さらに加えて、デジタル化が招いた超スピード社会は、大切なことを捨て去ってしまうことがままあり、アナログの温もりを享受してきた俺たちは違和感ばかりを覚えてしまう。おおらかな気持ちとアナログの温もりに守られて、俺たち は「喜怒哀楽」豊かに生きてきた。もちろんこれからもそのつもりだ。この気概を胸の中に宿していることこそが、俺たちの正体なのだ。現代社会に少し参っている昭和40年男たちよ、ガキの頃のようにいま—度自分のポテンシャルを信じて暴れてみないか。当時描いていたようなでっかい夢をもつのは難しいかもしれないが、ほんの小さな一歩を踏み出すだけでもいい。明日への夢をあきらめない皆さんの、きっと背中を押してくれる言葉の数々がここにある!!
夢、あふれていた俺たちの時代
昭和52年(1977年)
昭和40年男が少年から青年を経て大人への道をまっしぐらに歩んでいた時期は、日本経済が沸点へと向かって急上昇していた時期とピッタリ重なる。そうした勢いを肌で感じながら成長した俺たちには、いい思い出が数多く残っているはず。この特集は俺たちが過ごした「夢、あふれていた時代」からある一年を切り取って、当時の希望に満ちていた日々を振り返る連載特集だ。今回は昭和52年へ時間の旅に出かけよう!
途轍もないタメ年男が登場した──。錦織一清を知った時、そう思った昭和40年男は多いはずだ。歌って踊れてカッコよく、おまけにトークもおもしろい。それから30余年。目の前に現れたのは、男気にあふれ、自然体で本音を語る、やっぱりカッコいい“ニッキ”だった。
「劇団☆新感線」の看板役者にして『木更津キャッツアイ』『あまちゃん』『逃げるは恥だが役に立つ』などのヒットドラマでインパクトを残し続ける人気者。今も時代のトップを駆け抜けるこの名優も昭和40年男だ。その根底にはハードロック、プロレス、特撮…俺たちと同じ熱い血潮がたぎっている。
幅広い分野に精通した博識ぶりを生かして情報番組やクイズ番組で活躍してきた知性派タレントの大桃美代子。食育や農業、震災復興支援活動にも精力的に取り組み、最近はブランディングコーチとしても人々をサポートする大桃が仕事や人生で大切にしていることは何か。
役者として、歌手として、『われら青春』で出会った時から、今も変わらずカッコいい憧れの兄貴であり、先生的存在であり続けてくれる中村雅俊。今年70歳を迎えた。人生の先輩として俺たちの前を歩き続ける彼に、これからの生き方、そして仕事への意識に
1980年12月に発売された雑誌『POPYE』の70年代特集号の表紙に使われたことに象徴されるように、70年代カルチャーの顔であったブルース・リー。昭和40年男にドラゴンスピリットを注入してくれた伝説のヒーローの魅力を、ブルース・リー財団日本支部の常任理事・菅原芳人の証言で再考する。
昭和40年男の子供の頃は、ドリフを中心に生活が回っていたと言っても過言ではない。誰よりも早くギャグを覚えて真似をして、いつか自分もドリフの一員になりたいと夢見た。人生には笑いが必要であることを教えてくれたザ・ドリフターズのメンバー、仲本工事の登場だ。
人気絶頂のアイドルだったキャンディーズがステージ上で突然の解散、引退を発表。寝耳に水の声明にファンはもちろん、世間は騒然となった。今なお伝説とされる出来事から44年経った今年、伊藤 蘭が日比谷野音のステージに立つ。その当人に当時の話、ニューアルバムのこと、野音公演への思いを聞いた。
スーパーカーブームが日本列島を席捲した1977年、東京12チャンネルでひとつのクイズ番組が始まった。昭和40年男を虜にしたこの『対決! スーパーカークイズ』は、制作者が視聴者を子供扱いしなかったがゆえに熱狂的な支持を獲得することができた革新的なクイズ番組だった。
かわいらしいルックスとは裏腹の度胸満点の投げっぷり。1977年夏の甲子園で東邦の1年生投手・坂本佳一がチームを準優勝に導く好投を見せる。因縁の“名電”を倒すために一般受験での入学から強豪野球部の門を叩いた少年は、甲子園アイドル“バンビ”として一躍時の人となった。
デジタルなポップサウンドとカラフルなルックスで1980年代の音楽シーンを席捲したC-C-B。そのバンドでリードボーカル&ドラムを担当していたのがりゅうくんこと笠 浩二。熊本地震、メンバーの死、自身の病気を乗り越え、ポジティブに生きる糧になっているものとは。
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