発売日
2019年11月11日(月)
定価
780円(税10%込)
発行間隔
隔月刊(奇数月11日発売)
夢見た!真似た!背伸びした!! ── 遙かなる憧れの地俺たちのアメリカ
今でこそ“MADE IN JAPAN”は偉大なブランドだが、俺たちのガキの頃はまだまだ一流品とは言えず、憧れたのはなんてったって“MADE IN U.S.A.”だった。デカくて、強くて、カッコいい! モノだけでなく、ブラウン管に映し出されるアメリカの暮らしやカルチャーは現実離れしたものに感じられ、それを見ている四畳半とはあまりにもかけ離れた世界だった。そう、まだまだ日本は貧しかった。だが、やがてすさまじい勢いで上昇気流に乗っかっていく。誰もが、ささやかな幸せと豊かさを感じられるようになった1980年前後を境に、アメリカからのモノやカルチャーのさらなる大量輸入が始まった。雑誌から得た情報を頼りにアメリカ~ンな自分を作り上げては“ナウい”と言われることを望み、いたいけな努力を繰り返した。あの日、夢見て、真似て、背伸びしたアメリカへの時間旅行を通じて、元気の源泉を呼び起こし、明日への活力にしよう!!
夢、あふれていた俺たちの時代
昭和57年(1982年)
昭和40年男が少年から青年を経て大人への道をまっしぐらに歩んでいた時期は、日本経済が沸点へ向かい急上昇を続けた時期とピッタリ重なる。その勢いを肌で感じて成長してきたのだから、時代の影響は多大に受けてきたハズ。この連載特集は、俺たちが過ごした「夢、あふれていた時代」からある1年に焦点を当て、さまざまな出来事をふり返りながら、世代的ルーツの一端を「再検証」してみる試みだ。今回は、昭和40年男たちが17歳になる「昭和57年1982年)」をフィーチャー。さぁ、時間の旅へ出かけよう!
米軍基地の近くで育ち、ラジオから流れてくるFENを聴いて音楽に目覚めた杏里。そんな彼女が表現したアメリカに昭和40年男が憧れたのは、至極当然の流れだったのだ。
遊びやおやつの世界でも「アメリカ」は身近にあった。特に昭和40年男が小学生だった1970年代は、アメリカ発の、あるいはアメリカと関係した遊びやおやつが勢力を広げた時期でもあった。
かつて日本のテレビ局では、ほぼ毎日のようにアメリカ製ドラマを放送していた。おかげで、登場人物のファッションはもちろん、オシャレなインテリアや舞台となる家の構造にまで大いに憧れたのだ。
現在も続くこの番組が昭和40年男の多くにとって洋楽の原体験となったのは、並ならぬ音楽の知識と流暢な英語を駆使するMC―小林克也がいたからこそだ。開始から現在に至るまでをインタビュー。
ファッションもスポーツもカルチャーも。「POPEYE」はアメリカに憧れるシティボーイたちの教科書であり、世界に通じる扉だった。まさに、自信とパワーをくれるホウレンソウだった!
ビデオゲーム黎明期の米アタリ社は、独創的な発想でデジタル時代の開拓精神を体現する存在であり、それを追う各社もしのぎを削った。その結果、当時のアメリカンゲームは今も斬新な輝きを放つ。
昭和40年男が憧れたアメリカンヒーローは、身近な国産ヒーローとはまた一味違った魅力―大きさと強さと優しさを持っていた。そんな偉大なる男たちをランキング形式で紹介しよう!
昭和40年男が多感な時代に聴いていた邦楽は、どこかアメリカの匂いを感じさせるものが多かった。国産音楽を通じて、まだ見ぬアメリカの感覚を知らず知らずのうちにインプットされていたのだ。
タメ年アイドルの「シブがき隊」。なかでも屈託のないキャラクターで人気を集めたのが布川敏和だ。芸能生活40周年を迎えた「ふっくん」が、波乱万丈の「現在・過去・未来」を語り尽くす!
本誌6月号の小西康陽に続き、ついに野宮真貴が登場。めでたくピチカート・ファイヴの揃い踏み(?)となった。再評価の機運が高まるなか、歌姫に自らのキャリアを振り返ってもらった。
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