発売日
2018年1月11日(木)
定価
713円(税10%込)
発行間隔
隔月刊(奇数月11日発売)
俺たちの笑いのツボ。
昭和40年男たちは、幼少時よりさまざまな映像コンテンツと共に成長してきました。なかでもお笑いの分野では、演芸ブームの残り香を感じつつ、コント55号、ドリフターズを経て、漫才ブームへと向かう熱いムーブメントを思春期に体験するという、まさにお笑い英才教育を受けています。また、バラエティ番組だけでなく、子供番組やテレビまんが、ギャグマンガ、ドラマなど、複数ジャンルから笑いの要素を浴びるように体験してきました。そんなあらゆるメディアから受け取った笑いのセンスが、共通の"笑いのツボ"を形成しているのではないか? そんな仮定のもとに、各コンテンツが昭和40年男たちの笑いのセンスに与えた影響について考察しました。
夢、あふれていた俺たちの時代15歳(昭和55年)
昭和40年男が少年から青年を経て大人への道をまっしぐらに歩んでいた時期は、日本経済が沸点へと向かって急上昇していた時期とピッタリ重なる。そうした勢いを肌で感じながら成長してきたのだから、きっとその影響を多大に受けているはずだ。この特集は、俺たちが過ごした「夢、あふれていた時代」からある1年に焦点を当て、当時の希望に満ちていた日々を振り返りながら、世代的ルーツの一端を探り出そうという連載特集だ。今回は昭和40年男たちが15歳となる「昭和55年(1980年)」へ時間の旅に出かけよう。
現在のお笑い界をけん引するひとり、太田光も昭和40年生まれ。テレビっ子を自称する彼のテレビ体験は、まさに昭和40年男のお笑い体験と一致していた。
まだ「アニメ」と呼ばれる前の時代、そこには笑いの要素で満ちあふれていた。
「ギャグ」をけん引し続けていたのは、赤塚不二夫だった。
土曜夜8時になると、我々はテレビの前に陣取った。
現在へと続くバラエティ番組の基礎をつくりあげた偉大な番組が与えた影響とは。
B級おバカ映画界の巨匠・河崎実監督が昭和40年男たちに送るメッセージ。
アナログとデジタルの両方が搭載されたエポックメイキングな腕時計は、来る未来の道標として我々を魅了した。
丸っこいデザインで80年代を席巻したファンシー玩具のハシリ。
アントニオ猪木との対立のなかで膨らんでいったNWA幻想とはなんだったのか。
お笑い芸人として、放送作家として、そして俳優として、マルチな活躍をみせてきた昭和40年男を支え続けてきた言葉とは?
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