クレタのあゆみ

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1991.MARCH
「有限会社ビービー」東京都荒川区2丁目本社にて登記完了
広告代理業、イベント企画運営、芸能プロダクションの運営などを主な業務目的として登記書類を提出。この時点では事務所が決まっておらず社長の自宅で届け出た。資本金は100万円。
1992.MARCH
約1年間の準備期間を経て第1期業務開始。足立区梅田6丁目に事務所を置く
事務所は専務青柳の自宅に決まった。約10畳の青柳の部屋に知人からもらってきた机とイス、応接セットを置き、当人は祖父母の部屋に追いやられる。社長の「前の勤め先からクライアントを取らない」をポリシーで始めたため、すべての業務を新規営業することに。世はバブル崩壊直後、新規でしかも何の紹介も持たないエージェントに仕事はなかなか取れなかった。飲食店のメニューや近所の商店のワープロ打ち代行など文字通り何でもやり、カップ麺の特売があると箱で買い込み、なんとか食いつないだ。少しずつだが苦しい時期は緩和されていき、細かな仕事ではあったがクライアントを増やしていった。
1994.APRIL
広告営業部門として出版社と契約。広告枠のすべてを買い取り、オートバイ雑誌「go for! OFFROAD」を創刊
93年の暮れ、ある出版社の忘年会での出会いがこの創刊につながった。現在に至る出版事業のスタートになった記念すべき本だが、残念なことに後年廃刊してしまう。
1994.NOVEMBER
東京都港区赤坂4丁目に事務所移転。社員数5名
出版社主催のパーティにて思うところあり、翌日朝には赤坂の不動産店に直行、移転を決めた。赤坂に決めたのは社長が以前勤務していた広告会社が同地域で、新規の取引に少なからずいい影響をもたらしたことが理由。
1995.JULY
会社名を「クレタ」に変更
平成7年7月7日という7並びの日を会社名変更日とした。名前の由来は古代ヨーロッパに大きな影響を与える文化発信をしたと言われるギリシャの小さな島「クレタ島」。小さな小さな会社だが、いつかクリエイティブの世界に多大な影響力を持つ会社にという願いを込め命名した。このころには、さまざまな企業からクリエイティブや雑誌広告の依頼が増え、安定した成長軌道にのった。
1996.APRIL
「カワサキバイクマガジン」創刊
クレタ初の企画立案雑誌。編集はプロダクションに一括で依頼しての創刊となった。斬新なテーマは大きな話題を呼んだ。
1997.APRIL
有限会社から株式会社に組織変更、「ジパングツーリング」創刊
資本金を1,000万円に増資して株式会社に改組。この時の社員数9名、契約3名、アルバイト1名。クレタ2つめの企画立案雑誌であり、はじめて編集まで手がけた「ジパングツーリング」を創刊。企画・制作・デザイン・広告のすべてを自社で完結させるシステムができあがった。前年の「カワサキバイクマガジン」同様、これまでにまったく類を見ないオートバイ雑誌の創刊は再び大きな話題となった。また95年から取り組んできたDTPに関しては技術・機材・システムすべてにおいて完成を迎えた。
1998.APRIL
「カワサキバイクマガジン」編集事業開始
編集・制作をすべてクレタ内で完結させるため、同事業を開始。コンセプトはもちろん、連載企画の見直しや本の開き、ロゴマークなどに至るすべてに新しい編集手法を取り入れた。
1999.NOVEMBER
株式会社エルビーマガジン社と提携。出版部門を創設
2000.MARCH
クリエイティブルーム開設
広くクリエイティブの研究開発を担う部署としてクリエイティブルームを大田区蒲田に開設。クリエイター4人が選ばれ異動、WEBの事業化や先進的なデザインワーク構築に着手。
2000.APRIL
初の自社発行オートバイ雑誌、「タンデムスタイル」創刊
プロジェクトチームを作りターゲット、コンセプトなどを練り上げる初の試みに挑戦した。同時にWEBサイトとのハイブリッドマガジンという新しいスタイルも確立した。
2001.JUNE
将来の海外進出を目指して中国研修実施
2001.JULY
直列4気筒車限定カスタムバイクマガジン「カスタムピープル」を創刊
2002.JANUARY
分室アネックス開設
制作局の大半と業務開発部が移動。よりレベルの高いモノづくりを目指しての環境整備を目的とした。DTP関連機器の設備投資も行った。
2002.MARCH
第2回海外研修を台湾にて実施
去年と同様、全社員を対象に論文によるコンペを実施。題目は「なにを学んでいきたいか」というもの。これによって選ばれた5人に社長が同行した。
2003.OCTOBER
従業員数が30人を超える
翌年度の「タンデムスタイル」月刊化と新規フィールド進出を見越して、編集スタッフの大幅増員をおこなった。
2004.JANUARY
分室アネックス2開設
制作局編集部のスペースとして新規開設。3拠点を足すと約100坪の規模となった。
2005.MARCH
組織変更を実施
自社媒体部門の強化を目指し媒体局を新設。自社媒体の広告営業とブランディング、マーケティング、イベントなどを担当する営業部営業課を新たに設置した。さらに制作局から編集部が移り、最大所属人数の局となった。
2005.MARCH
「レディスバイク」創刊、「カスタムピープル」月刊化
休刊中だった女性ライダーのためのオートバイ専門誌「レディスバイク」を、クレタによる全面リニューアルで復刊。かつての読者からの歓迎と、新しい女性ライダーの取り込みに成功。そもそも、出版を事業化させる業務提携先となったエルビーマガジン社は、その名のとおりレディスバイクの出版元だった。その雑誌を復刊させることは提携決定時から、いつかはという希望があった。6年を経て叶ったことになる。
2006.JANUARY
編集3課を新設
媒体局編集部に3課を新設した。タンデムスタイル・カスタムピープルに次ぐ柱を目指し2005年創刊の「レディスバイク」と、この後創刊するオートバイ雑誌「風まかせ」「Scooter Days」を担当する。
2006.MARCH
大人のためのバイクライフマガジン「風まかせ」創刊
大人向けバイク雑誌は04年よりあたためてきたアイデアで、やっと体制が整い創刊に踏み切った。自社の創刊誌としてはこれまでにない大きな反響を得た。
2006.APRIL
「Scooter Days」創刊
2006.MAY
ミドルクラス専門オートバイ雑誌「Under400」創刊
2006.OCTOBER
音楽ライフ雑誌「音に生きる」創刊
バイク関連以外の雑誌に進出。2009年9月まで11冊を発行したが、残念ながら休刊となった。これまですべての創刊誌を継続してきたクレタにとっては、初の休刊誌となってしまった。
2007.JANUARY
本社を芝大門に移転
94年から慣れ親しんだ赤坂の地を離れ本社を移転。3拠点となっていた事務所を1ヶ所に集約した。スタッフ同士の緻密な連携から、すべての業務をレベルアップし、より高いモノ創りにチャレンジする。
2007.JANUARY
クレタパブリッシングがスタート
クレタの出版部門、株式会社エルビーマガジン社の社名を変更。グループ会社としてわかりやすいようクレタの名を冠しての再スタートである。
2010.FEBRUARY
資本金を4,000万円に増資
2010.MARCH
年齢限定男性雑誌「昭和40年男」季刊発刊を決定
前年10月にテスト発行した「昭和40年男」の良好な販売成績から、季刊での発行を決定する。一般男性誌という競争の激しい世界への進出となった。
2011.MARCH
「昭和40年男」隔月刊発行を決定
2011.MAY
チャリティモーターサイクルショー開催
東日本大震災によりバイクイベントの自粛中止が相次ぐなか、いち早くチャリティイベントの実行委員会を立ち上げて二輪関連企業や団体に呼びかける。たくさんの賛同と協力を得て5月15日に約4,000人のライダーを集めて開催して大成功を収めた。参加者からの義援金1,018,607円と、イベント協賛金から会場費などの実費だけを差し引いた残金600,722円、その他寄付金を加えて1,706,935円を被災地へと送った。

企業理念

コンテンツを創る

クレタは大きく分類すると2つの顔を持っています。1つは、クライアントの要望をカタチにするクリエイティブエージェント。もう1つは私たち自身が作り出したアイデアを発信するソフトウェアメーカー。ひとことで言うと「コンテンツを創る」会社です。

あらゆる創意に取り組む

この気持ちが出版業を始めた原動力です。今後、音楽や映像などさまざまな世界に進出していきたい。表現手段が変わっても、楽しさと豊かさを提供するためであればいいコンテンツ創りができると信じているからです。

いい仕事をしよう

クレタは発展途上の若い会社です。持っている能力のすべてを出し切ってベストのものを生むように心がけています。しかし、予算や条件だけで「いい仕事」を生むことはできません。世の中に貢献できる仕事を常に考えながら行動します。

プランニングボックス

クレタのめざすイメージは企画やアイデアのおもちゃ箱。「わくわくするようなプランが次から次へと飛び出すよ」こんなメッセージをプランニングボックスという言葉に託しました。どうぞこの小さな箱を開けてみてください。